柳生兵庫助(1)
柳生石舟斎の孫・柳生兵介(後の兵庫助)は武芸に励みすくすくと成長していた。ある日柳生の里にやってきた流れ者に遭遇し、7歳の兵介は初めて人の肉を切ることになるのだが…
柳生兵庫助(2)
徳川家康が、石舟斎の無刀取りを実見したいと使者を通じて申し出てきた。その技に感嘆した家康は兵法の師範として石舟斎を召抱えようとするが…
柳生兵庫助(3)
石舟斎が現れ、宗矩の目の前で兵庫助を新陰流三世にと話す。宗矩は自分の剣術を江戸柳生新陰流とすることを高らかに宣言し、江戸へ―。
柳生兵庫助(4)
征伐の折に逡巡の振る舞いがあったこと、味方である長門と渡辺を手にかけたことを問い詰められる兵庫助。自ら殿に暇乞いをするが…
柳生兵庫助(5)
前田家の忍び・軒猿をまとめている長十郎は彼らを使って千世の捕縛に乗り出した。応戦する兵庫助一行だが、木猿が足に毒矢を受け…
柳生兵庫助(6)
棒庵は兵庫助に「観受」が必要であると説いた。修行を続けていると、棒庵と試合をすることに。真剣勝負ならば自分が勝つと思っていた兵庫助であったが…
柳生兵庫助(7)
武蔵と小次郎の試合は、門司に近い小さな舟島で行われることとなった。約束の時間から二刻、ようやく現れた武蔵は二刀を構えてはおらず…
剣豪列伝 柳生石舟斎
永禄六年。柳生但馬守宗厳の館へ、親友の宝蔵院胤栄からの急使が来た。新陰流という剣術を創始した伊勢守信綱が奈良へ剣術行脚にやってきたというのだ。若き宗厳は打ち負かす自信に溢れていたが…